厄祓いツアー<3日目・その1> 巖流島
- 2014/08/24
- 23:18
目が覚め、ホテルの朝食を頂いてから、外にでると

な、なんじゃ、こりゃ~。
「ゆめタワー」とあります。そして、その先をちょっと行くと下関駅だったんですね。
どうりで昨晩、ただの飲み屋街だと思ったわけだ。
ようやく自分の居場所を把握しました。
それに私は勝手に下関はもっと漁港っぽいのかなと思っていたのですが、
全然違いますね。工業の港です。
そりゃそうか、太平洋ベルト地帯だもんね。
私の記憶では「北九州」と記憶していたのですが、
まぁ、真向かいなんですから、こちら側も工業地帯として栄えても
当たり前ですよね。
さて、Google Mapsを見ながら、早朝の街を歩いていると目に入ってきたのが、
「巌流島」
下関港あたりから、どこか覗き込めるところがあるのかなとおもいきや、
なかなか見当たらず、むしろ立入禁止みたいなところばかり。
もしかして、ここの三菱重工業、なんかヤバイもの作ってる(・・?
仕方がないです。移動することにしました。
地図を見ると「弟子待公園」から巌流島を眺めることが出来そうです。
そしてこの「弟子待公園」探すことになるのですが、なかなか見つからないんです。
しかもこの周辺、道が入り組んでて高低差も結構あり、しかもカーナビの縮尺を一番細かくしないと、
細い道が表示されないという不便さでした。
一度は諦めて「彦島南公園」に車を止めて歩こうかと思ったのですが、
なんせ、この日は暑かったんです。
正直、歩きたくなかった・・・。
で、もう一度トライしてみることに。
なんとなく分かったぞ。草むらの丘みたいな所があるのですが、
「弟子待公園」ってコレだろ!
そして、正確には違うのですが、ちょっとあやしい道を入ってみると・・・

おっ、巌流島を見ることが出来そうです!
実は宮本武蔵も道に迷って遅れたんじゃないか?
で、こんな道をどんどん歩き、進んでいくと、

だんだん

こんな道になっていきます。
えーと、人の気配が薄れていくのですが・・・
そんなことは気にせずに、更に歩いていくと、

はい、着きました。展望地です。
弟子侍太子堂です。
そして海の方をみると、

巌流島です。
地理的には、「船島」と呼ぶらしいですね。
ちなみにGoogle Mapsには「彦島」と出てきますが、
これはたぶん、住所の下関市大字彦島字船島の字のところで止まってるんでしょうかね?
彦島って町の名前だもんね?
アップにしてみました。

いや、なにか私、過度に期待していたのかもしれません。
そりゃね、いま、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘なんかしているわけないですよ。
なんだろう、あまりにも人工的な島すぎて、歴史を感じないというかね・・・。
あぁ、それから、あとで知ったことですが、宮本武蔵は決闘に遅れてはいなかったようですね。
吉川英治の『宮本武蔵』の中での創作なんだとか。へぇ〜。
巌流島の由来も、佐々木小次郎の号が「岩流」だったからとか。ふーん。
そして、ちょっと海側の方へ出てみると、

関門橋がうっすらと見えます。
あれを渡ると九州かぁ。
すごく渡ってみたかったけど、今回は本州の端っこまでというルールですので、
九州地方は、またの機会としましょう。

な、なんじゃ、こりゃ~。
「ゆめタワー」とあります。そして、その先をちょっと行くと下関駅だったんですね。
どうりで昨晩、ただの飲み屋街だと思ったわけだ。
ようやく自分の居場所を把握しました。
それに私は勝手に下関はもっと漁港っぽいのかなと思っていたのですが、
全然違いますね。工業の港です。
そりゃそうか、太平洋ベルト地帯だもんね。
私の記憶では「北九州」と記憶していたのですが、
まぁ、真向かいなんですから、こちら側も工業地帯として栄えても
当たり前ですよね。
さて、Google Mapsを見ながら、早朝の街を歩いていると目に入ってきたのが、
「巌流島」
下関港あたりから、どこか覗き込めるところがあるのかなとおもいきや、
なかなか見当たらず、むしろ立入禁止みたいなところばかり。
もしかして、ここの三菱重工業、なんかヤバイもの作ってる(・・?
仕方がないです。移動することにしました。
地図を見ると「弟子待公園」から巌流島を眺めることが出来そうです。
そしてこの「弟子待公園」探すことになるのですが、なかなか見つからないんです。
しかもこの周辺、道が入り組んでて高低差も結構あり、しかもカーナビの縮尺を一番細かくしないと、
細い道が表示されないという不便さでした。
一度は諦めて「彦島南公園」に車を止めて歩こうかと思ったのですが、
なんせ、この日は暑かったんです。
正直、歩きたくなかった・・・。
で、もう一度トライしてみることに。
なんとなく分かったぞ。草むらの丘みたいな所があるのですが、
「弟子待公園」ってコレだろ!
そして、正確には違うのですが、ちょっとあやしい道を入ってみると・・・

おっ、巌流島を見ることが出来そうです!
実は宮本武蔵も道に迷って遅れたんじゃないか?
で、こんな道をどんどん歩き、進んでいくと、

だんだん

こんな道になっていきます。
えーと、人の気配が薄れていくのですが・・・
そんなことは気にせずに、更に歩いていくと、

はい、着きました。展望地です。
弟子侍太子堂です。
そして海の方をみると、

巌流島です。
地理的には、「船島」と呼ぶらしいですね。
ちなみにGoogle Mapsには「彦島」と出てきますが、
これはたぶん、住所の下関市大字彦島字船島の字のところで止まってるんでしょうかね?
彦島って町の名前だもんね?
アップにしてみました。

いや、なにか私、過度に期待していたのかもしれません。
そりゃね、いま、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘なんかしているわけないですよ。
なんだろう、あまりにも人工的な島すぎて、歴史を感じないというかね・・・。
あぁ、それから、あとで知ったことですが、宮本武蔵は決闘に遅れてはいなかったようですね。
吉川英治の『宮本武蔵』の中での創作なんだとか。へぇ〜。
巌流島の由来も、佐々木小次郎の号が「岩流」だったからとか。ふーん。
そして、ちょっと海側の方へ出てみると、

関門橋がうっすらと見えます。
あれを渡ると九州かぁ。
すごく渡ってみたかったけど、今回は本州の端っこまでというルールですので、
九州地方は、またの機会としましょう。
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